姫路の三ツ山大祭へ

20年に一度という姫路の播磨国総社、射楯兵主(いたてひょうず)神社の
三ツ山大祭に行ってきました。
今日も暑いくらいの日差しで大賑わいの姫路城前を横切り、まずは
博物館でボランティアガイドさんの解説を聞きながら展示を見ました。
江戸時代の刷り物や近代の写真の絵葉書などでも昔の賑わいが
よく分かりました。

そのあと神社へ行って三ツ山を見てきましたが、ほんとに大きいです!
むかしは神様が天から降りてくる場所は山の上と思われていて、でも姫路には
山がないから降りてきてもらう場所として置き山を作ってお祀りしたのだそうです。
それぞれの山頂にはお社を建ててそこに神様に降りてきてもらい、期間中は
毎朝神職がこの上へ登って祝詞を上げておまつりしているそうです。
始まりは60年に一度の一ツ山だったものが、臨時で三ツ山が催行される
ようになり、その後1533年に20年ごとと決められたそうで、今では20年ごとの
三ツ山と、それとは別に60年ごとの一ツ山(次は2047年)があるそうです。
詳しくは三ツ山大祭HPで → http://sohsha.jp/mitsuyama02.html

二色山(にしきやま)と五色山(ごしきやま)は殿様がつくらせて、
小袖山(こそでやま)は町人が作るのが慣わしだったそうで、今でも
小袖山は寄進された着物を飾りつけて厄払いにしているそうです。

各山に飾られている人形?は勇ましい武士の物語の一場面で、これも
厄除けを意味する飾りだそうです。
必ずこの物語のこの場面と昔から決められているものではないそうですが、
ムカデと武者で俵藤太のムカデ退治、鬼(酒呑童子)と武者で大江山の鬼退治、
騎乗武者といのしし退治で源頼朝の富士の巻狩りの仁田四郎忠常の猪退治の
場面をあらわしています。

博物館でボランティアガイドさんの解説を聞きながら展示を見ました。
江戸時代の刷り物や近代の写真の絵葉書などでも昔の賑わいが
よく分かりました。

そのあと神社へ行って三ツ山を見てきましたが、ほんとに大きいです!
むかしは神様が天から降りてくる場所は山の上と思われていて、でも姫路には
山がないから降りてきてもらう場所として置き山を作ってお祀りしたのだそうです。
それぞれの山頂にはお社を建ててそこに神様に降りてきてもらい、期間中は
毎朝神職がこの上へ登って祝詞を上げておまつりしているそうです。
始まりは60年に一度の一ツ山だったものが、臨時で三ツ山が催行される
ようになり、その後1533年に20年ごとと決められたそうで、今では20年ごとの
三ツ山と、それとは別に60年ごとの一ツ山(次は2047年)があるそうです。
詳しくは三ツ山大祭HPで → http://sohsha.jp/mitsuyama02.html

二色山(にしきやま)と五色山(ごしきやま)は殿様がつくらせて、
小袖山(こそでやま)は町人が作るのが慣わしだったそうで、今でも
小袖山は寄進された着物を飾りつけて厄払いにしているそうです。

各山に飾られている人形?は勇ましい武士の物語の一場面で、これも
厄除けを意味する飾りだそうです。
必ずこの物語のこの場面と昔から決められているものではないそうですが、
ムカデと武者で俵藤太のムカデ退治、鬼(酒呑童子)と武者で大江山の鬼退治、
騎乗武者といのしし退治で源頼朝の富士の巻狩りの仁田四郎忠常の猪退治の
場面をあらわしています。

Tag : 姫路
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