
私は広田神社の表の参道だけでなく、広田の杜から境内に入ることも
多いのですが、そのひとつにはこんな石を渡しただけの橋がありました。
こういうのが江戸時代とかのちょっとした水路を渡るための橋だったと
聞いてから、分銅町の今は石碑として立てられている分銅紋入りの石が
昔は橋として使われていたということがイメージしやすくなりました。

ところが先日御田植を見に行ったときに、田圃を作るときにそのあたり一帯が
整地されて、水路にも金網のふたがされているのに気が付きました。
車が入ったりするようになったから当然でしょうけど、なんだか残念です。
テーマ : 兵庫県西宮から - ジャンル : 地域情報
Tag : 西宮散歩